共依存の母娘における弊害~「できる娘」とそれが誇りの母親 女性 37歳 S.M.さん

私自身のアダルトチャイルドは随分改善したような実感はあるものの、親との関係まで改善に至ったかといえば、疑問が残ります。自分自身の改善以上に、親子の関係、特に母親との関係における共依存の改善の道のりは険しいように感じます。

「できる子」が引き起こす生きづらさ

典型的な機能不全の家庭だった我が家は、手のかかる弟の面倒で疲れている母親をなだめ、できるだけ「いい子」でいることに努めていましたし、状況によっては「いない子」になる時もありました。そんな私を母親も近所の人たちも「できた子」と褒めてくれるのです。

そうやって褒められることで、自分の価値を保っていた当時の私は「できる子」になろうとしていたのかもしれません。しかも、無意識に母親の期待に応えようとしていたのでしょう。

それが年齢を重ねるに従って、辛く重くのしかかるようになりました。それでも母親の期待に応えようとするのですが、違和感が拭えず、中学時代のある日思い切って「自分はこうしたい」「私はこんな風に思う」と母親にはっきりと言ったことがあります。

そうしたら、母親はショックを受けて、泣き出してしまったのです。普段から私の思っていることを話さなかったこともあるとは思いますが、「まさか私の子がこんなことを言うなんて!」とでも思ったのでしょう。そんな母親の姿を見て、「ああ、やっぱりいてはいけないことを言ってしまったのだ」と悔やみました。

その一件から、それまで以上に口数は少なくなり、できるかぎり「できる子」でいようと思うようになりました。

良いようで、本当は危険な共依存

かなり早いうちから考えていたことに、「この家から出る」ということがあります。機能不全の家庭で、家族といることがとても窮屈で、「できる子」でいなければならないことが何よりも辛かったためです。

「できる子」と「反発する私」の狭間で、「共依存」という言葉を知ります。お互い無意識に縛り付けてしまうという概念は、正に私と母親の関係だと思いました。近所でも「できる子」として知られていた私は、母親の自慢。

そうあるべきと思いながらも、違和感を持ち続けた私は、ある日、再び思い切って「今の状態では私にもお母さんにも良くない」と必死に訴えましたが、母親は激しく動揺し、再び泣かれてしまいました。

母親は娘に対しては息子以上に理想を描くということを何かで見聞きしたことがあります。私の母親もその典型だったのです。母親を変えることは難しいのだと感じた出来事でした。

母親と必要な距離感

高校卒業を機に実家を離れては、様々な理由があって出戻りということを数回繰り返し、現在は再び母親のところから離れて暮らしています。経済的には非常に厳しいですし、娘を案じての電話が母親からかかってきたりしますが、実家で半ば母親の世話を焼くことや、母親に世話を焼かれることを考えると、精神的には随分楽になったように思います。

母親自身を変えることができなければ、私自身で環境を変えていくしかないのだと思っていますし、物理的な距離感を取ることによって、適した関係を築けるものではないかと感じます。娘は「母親の生き直し」ではないのだから。

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